パクチーを避け続けていたらどんなものか忘れてしまった話
パクチーが嫌いなのに数年避け続けた結果パクチーがどういうものか忘れてしまい、中華料理の上にのっている草を「おいしそうな草だな」と普通に口にしてしまった。パクチーだあれ。つらい。
— るー (@ru_ixtp) 2020年10月1日
「自分はパクチーというものが嫌いだ」という文章/自分ルールは頭の中にあったが、肝心のパクチーのイメージ自体は時とともに抜け落ちてしまったようだ。
パクチーと東南アジアの結びつきは覚えていたので、中華料理(麻婆豆腐だった)にのっている草でなければ気付けたかもしれない。
昨日、スーパーで秋映というりんごを買った。
柔らかいりんごは苦手なのだが、この秋映というりんごはシャキシャキの王様というくらいに硬めのりんごで好きだ。サンつがるとか王林とか、たくさんあるりんごのなかでこれだけは名前と味が一致している。
ただ、学生にとって果物は高級品だったので、何年も食べていなかったのだ。当然、買えなければ虚しいだけなので売っているところを見に行きもしなかった。
懐に余裕もできたので、久しぶりに秋映!と意気揚々とスーパーの果物売り場で探す。
……思っていたよりだいぶ茶色い。
…こんなに焦げ茶色のりんごがりんごと言えるのだろうか?
どうもパクチーだけでなく、秋映の見た目も忘れていたようだ。
そういえば、家族が亡くなるとまず顔から忘れるのだと聞いたことがある。「どこどこでこんなことをした」という思い出や、「こういうときは〇〇してね」というような言葉はなかなか忘れにくいのだとか。
香りもすぐに忘れてしまうが、同じものを嗅ぐとただちに記憶が蘇る。一方、顔や外観は写真を見返しても「こんな感じだったっけ?」となるようだ。
うん、なると思う。
人間の記憶はわりと雑だなぁ、と思った。